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最後の晩餐L'Ultima Cena

最後の晩餐とは

 レオナルド・ダ・ヴィンチの筆による「最後の晩餐」は、多くの謎や暗号を秘めた作品として、今も人々の興味を惹いてやまない大作です。


 そのあまりにも不遇な境遇から、現在は存在していることが奇跡であると言われるほどの壁画ですが、実はほとんどの作品が未完成のままであるとされるレオナルド・ダ・ヴィンチの残した絵画の中では、珍しく最後まで描き上げられている貴重なものなのです。





 最後の晩餐は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として、1495年~1498年にかけて描かれた絵画で、作業が遅いことでも有名なダ・ヴィンチにしては、かなりのペースで描き上げたものであると解説されています。

 パトロンであった、ルドヴィーコ・スフォルツァ公に要望されて描いた画で、ヨハネによる福音書13章21節にある、キリストが「12弟子の中の一人が私を裏切る」と予言した場面が再現されています。

 この晩餐のあと、イエスはサタンに乗り移られた弟子のひとり、ユダによる裏切りによって処刑されます。

 ユダは、十二使徒の統率者として、常にキリストの近くにいた弟子ですが、キリストが十字架に張りつけにされたあとも、さらにキリストの予言どおりに裏切りを行い、それを苦に首を吊って自らの命を絶ちました。

 最後の晩餐が描かれた壁は、当初食堂として使用されていた部屋にあり、食べ物から立ち上る湯気や湿気などでかなり侵食されてしまいました。

 その後、17世紀になると絵の下部中央部分が出入り用の扉を作るために失われてしまい、今ではもう、その部分を見ることは叶いません。

 さらにナポレオンの時代には、その部屋は馬小屋として使用されることとなり、動物の呼気や排泄物でひどく腐食が進んだと伝えられています。

 その後は、ミラノを襲った2度の大洪水で水浸しになったり、1943年8月にはアメリカ軍の空爆により、建物が空爆されるなど、過酷な運命を乗り越えてきた名画ですが、近年、ダヴィンチコードなどの影響もあり、再びスポットが当てられるようになりました。

 1977年~1999年にかけて修復作業が大規模に行われ、最後の晩餐の壁画があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院は、1980年に世界遺産に登録されました。

 その後、現在では外気との接触を減らす、観光で訪れる人の人数制限をする、などの保存活動が続けられています。

 その巨大な壁画の中に、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチがどんな暗号を隠していたのか、今後も人々の興味を惹着続けることは間違いなさそうです。



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