名前
フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent Willem van Gogh)
時代
1853-1890(印象派)
出身地
オランダのズンデルト
ゴッホといえば世界中で最も知られている画家の一人であり、孤高の天才画家、情熱の画家として神格化すらされている巨匠中の巨匠ですが、その生涯は挫折と失意に満ちており、生前に売れた作品は、諸説はあるものの、アルルでゴーギャンと共同生活をしていた頃に描かれた作品「赤いブドウ畑」の一点だけであったとされています。
生前も全く認められていなかったわけではありませんが、画家としての収入は全くありませんでした。
しかし、その死後に評価は急速に高まり、彼の作品の価値も、価格も高騰していきました。
自殺の数十年後には、一点数百万円の値がつくようになっていたのです。
フィンセント・ファン・ゴッホは、ポスト印象派(後期印象派)を代表するオランダ出身の画家です。
自らの目で見たものだけを描くというスタイルにこだわり、想像で描くということをしなかった彼は、写生を基本としており、肖像画や自画像、ひまわりの絵が多いことでも知られています。
特にひまわりは20点ほどの作品があると言われ、ゴッホの代名詞と言っても良いほどです。 もともとはゴーギャンとの共同生活に向けて用意していたという、明るい黄色のひまわりの絵の数々。
その一つは、東京・新宿にある損保ジャパン東郷青児美術館で観ることができます。
ゴッホにとってひまわりは、当時建設を目指していたという、芸術家を集めたユートピアの象徴であり、明るい南フランスの太陽そのものであったと言われています。
ゴッホの生涯は、挫折と苦悩に満ちたものでした。数多くの失恋、失職、孤独を味わい、次第に精神を病んでいくゴッホ。 画家を目指したのは27歳と、決して早いスタートではありませんが、たった10年のキャリアの中で、2000点を超える作品を残した情熱の画家です。
そんな彼の激しい性格を表すエピソードのひとつに、ゴッホの耳切り事件があります。 ゴーギャンとの憧れの共同生活は、二人のあまりに違う性格や絵の技法が原因で、破綻を迎える寸前にありました。
そんなある日、ゴッホはゴーギャンとの激しい言い争いのあと、感情が昂ぶり理性を失い、自分で自分の耳をカミソリで切り落としてしまったのです。 片耳を包帯で覆い、パイプをくゆらす自画像は有名で、ゴッホと言えばこの耳切り事件という印象を持つ人もいるかもしれません。※このゴッホの耳切り事件には諸説あります。
「赤いブドウ畑」の絵は、ゴッホが銃弾で自らの左胸を撃ち抜き息を引き取る5ヶ月前に、ベルギーの芸術家組合の組合員であった女性によって、わずか400フランで購入されたそうです。
Google Art Projectで鑑賞できるゴッホの作品一覧。
Bleaching Ground at Scheveningen (1882)
Two women on the heath (October 1883 - 1883)
Farm with stacks of peat (November 1883 - 1883)
Landscape with Bog Trunks (Travaux aux Champs) (October, 1883)
Avenue of poplars in autumn (October 1884 - 1884)
The Parsonage Garden at Nuenen in Winter (1884年)
A Weaver's Cottage (1884)
Head of a peasant (1884)
Weaver (1884)
Head of a woman (November 1884 - January 1885)
Head of a man (November 1884 - February 1885)
The old church tower at Nuenen (`The peasants' churchyard') (May 1885 -
June 1885)
The cottage (May 1885 - 1885)
Head of a woman (March 1885 - 1885)
Peasant Woman Planting Potatoes (1885)
The vicarage at Nuenen (September 1885 - October 1885)
Head of a prostitute (December 1885)
Portrait of a prostitute (December 1885)
など